"青天の霹靂か隕石か"美しい里に舞い降りたマンゴーは

『森林資源の地産地消』

Tochigi Liqueur

No. 001(2019.09.15発行)

取材者:原 百合子

消滅可能性都市という言葉をご存知だろうか。

栃木県では那珂川町がその最有力候補に挙がる。旧来通りの人口移動が続いた場合、2010年〜2040年の間に那珂川町の20〜39歳の女性人口は71.3%減少すると算出された。

しかし悲観できるだろうか?

その渦中にいる私達だからこそ、これからの生き方を堂々と見つめめたい。

那珂川町はいつだって綺麗に手入れされた里の風景を見せてくれる。誰かの手で整えられた花、風景を作る垣根、里への愛情があちこちに。

私の友人は嫁いで那珂川町に移住したし、大学時代のイケボイスの先輩も那珂川町に勤めている。

​消滅していくのは都市ではなく旧来の仕組みの方なのかもしれない。

その那珂川町が、マンゴーを特産品にPRし始めたのは青天の霹靂だった。

一体どうして突然始まったのか?

調べてみると、その母体は意外に林業だった。

木材加工の際に出る余剰熱をなんとかしたいと、10年前からハウス栽培が検討されてきたのだ。

エネルギー再利用を行う(株)トーセン(本社栃木県矢板市、創業昭和39年)は、新たなバイオマスエネルギー循環を目指した地方創生モデル「エネルフォーレ50」の最初のモデルとして、那珂川町の中学校の廃校を利用した発電事業を開始する。

 

実験を経て、同町に余剰熱再利用のハウスを新設。そのハウス管理を引き受けたのが、那珂川町で材木店を営む(有)鈴木木材店取締役鈴木英子さん。栽培品種をマンゴーに決めたのも彼女のアイデアだった。

英子さんは木材の余剰熱利用についてこう語る。

「重油を使えば燃料代は中東に行くけれど、木を使うことによって地元の木の手入れが進んで、植え替えが進む。最終的に地元にお金が落ちるから、木も経済も綺麗に循環していける」

栽培実験を開始する頃、震災が起きたため、再生化エネルギーへの取り組みを加速させる展開になったという。

「消滅市町村と言われるけれど、町がなくなる前に何かしたいねと話していて。那珂川町を知ってもらうきっかけになれたら。」

実際、那珂川町の来訪者は増えた。日本初の木質燃料マンゴー栽培を見ようと、数千単位での視察希望があるという。そのため、見学案内は別会社が引き受けて、行政でも対応している。

「マンゴー自体はまだ収穫量も少なくて、人件費と管理費で手一杯。赤字じゃなければ良いという発想で、いつか採算ベースに乗せられれば。」

英子さんは、那珂川町に人を呼ぶこと・雇用を作ること・林業の活性化、シンプルにその3つを描いている。

ふとすると、マンゴーは単価が良い商売だとか、エコはトレンドだからとか、外野からいかにも外野らしい意見が聞こえてくる。しかし、採算性の厳しいモデルを実現するためにマンゴーを選ぶことは最高のセンスだし、マンゴーは大人も子供も笑顔にしてくれる。今の那珂川町に必要な、明るい隕石を投じたのだ。

「栽培方法は鉢植えを使った根域栽培なので、栄養分がしっかり取れるところがポイントです。あとはとにかく毎日様子を見ていくこと。年数を重ねなければわからないことがあるから。準備ができたら、ついに綿帽子を被せてお嫁に送る感じです。」

英子さんは丁寧にマンゴーを思いやる。

手間暇かけて作られた数少ないマンゴーなので、次年度生産分はすでに予約でいっぱいだ。

しかしマンゴーが手に入らないからといって、がっかりすることはない。

循環型農業の実現を見守ること、マンゴーを通じて那珂川町を知って訪ねることが、何より英子さんの望むところ。

​那珂川町には里らしい観光スポットがたくさん待っている。ぜひ訪ねてみてほしい。

視察見学の専用サイトはこちら